わたしはそれを見るほどいなくなる

見れば見るほど必要なくなる

逆にそれのほうはますますいるようになっていく

 

まなざしが転げ落ちて

物憂げに横になっている

 

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目玉は終わり

穴熊

 

 

 

 

所与がブリコラージュされているのであれば

初心者は、まず目の前の物事を

アレゴリーとして読解していくよりない。

街路に対しても人体に対しても。

 

ブリコラージュのブリコラージュ。

ブリコラージュのブリコラージュのブリコラージュ・・・

 

アレゴリーアレゴリー

アレゴリーアレゴリーアレゴリー・・・

ハロルド・ギャティ「自然は導く」19章 「波とうねり」より

・・・「その独特な海図は模型とも言えるものだった。ココヤシの茎で作られ、ヤシの繊維で結びあわされていた。枠組みのなかで、精巧に並べられた曲がった茎が結ばれ、島の周囲によく現れるうねりの曲線や合流点をきわめて正確に表現した網のような形をしている。枠組みの中に置かれた小さな貝は島を表している。」・・・

 

職場で夜

帰り支度をしていると、裏手の道路から

割れたベアリングのように

ズルズルアスファルト上を引きずったのち

何かを突き落とすような音が

一定の間をおいて

繰り返し聴こえた。

 

はてなと思って雨上がりの路上

今日は昼間中雨が降っていた。

に出て裏手に回ってみると

昏い通りの向こうで

想定より遠い街灯のスポットライトの下

若者がスケートボードをしていた。

よくわからないけれど、板を走らせたまま続けて

跳び上がることの反復練習をしていたのだった。

片足で板に乗って、もう片足で地面を蹴って

車輪を走らせたところで両足で板に踏ん張って跳び上る。

板は空中で両足に吸い付いたようになって

着地時には破滅的な音が響いた。

 

納得して昏いほうの道を引き返すと

さっきは目に入らなかったけれど

いくつか等しい長さの小枝が

ゆらゆらと散らばっていた。

長い長いロングピースのような。

箱ごと湿気た路上にちらけた、不幸なタバコの束のようにして。

なんだか奇妙に感じたのでよくよく見ると

ニョロリと動いて、それらすべて蠢いていて

這い出したミミズだと知った。

モンク聴いてまた腰抜かす

モンクの夢の身体と魂

 

 

 

朝日書評より

評者:呉座勇一 「建国神話の社会史」古川隆久

「「国体観念を強烈に国民の頭に打ち込むこと」」

 

評者:間宮陽介 「スミス・マルクスケインズ」ウルリケ・ヘルマン

「人物写真を複写機でコピーし、それをまたコピーするという作業を繰り返していくと、線だけで構成された、くっきりとした画像が出来上がる。人物の特徴は出ているが、陰影が消えたぶん、表情が定型的だ。」

 

 

 

ジュネ「花のノートルダム中条省平

「「唇から葉巻が垂れ下がりそうだ。」」

 

 

 

「見えない都市」があるなら、見えない国(近代史)、見えない言語も

あるだろう。

見えない人も。

見えない探偵小説、見えない絵画、見えない旅、見えないワイドショー

見えない機械、見えない天気、見えない分子、見えない恐怖、見えない経済

見えない音 見えない 見えない

 

見えないは何を

フォルムとして、態度・姿勢としての見えない

(方法としてではなく

 フォルムと方法は違う

 方法は作法でしかない

 フォルムはそこにある)

 

「見えない」の条件は

たぶん「見える」

 

見えないモンクは難しいなあ

 

 

ピアノを弾けるようになって

タバコを吸えるようになって

ニットキャップを被って

私もできれば顎髭を生やしたい

 

 

 

見えない国(近代史)

いろいろな用事で飛行機上が常態の主人公

いろいろな架空の国の政体、近代史、内戦、戦争を物語る。

インフレとデフレ、イデオロギーナショナリズム

ポピュリズム、儀式、包摂と排除、などなど。

 

「同じ」を作らないと海を越えてコミュニケーションをとれないけれど

(外交・交易・翻訳)

その同じはどれくらい同じなのか

同じでないも同じくらいあって、

同じでないは

見えないの条件

 

見えるは同じでない 

 

 

body & soul / monks dream は

行きつ戻りつ

できそこないの同じものがかぶさる

ぶつかる

おおう

同じはできそこないであることによって同じでなくなる

まるで意図された偶然のようにして

 

となりあう息吹きのそのなかにも

突拍子のないひとつ上の空へとびあがる

ボールの影や地下室の鍋底の空があって

聴く体験ではまとまりではあるのだけれど

いいかげん反復されるたびに

折りたたまれて

ちぢこまっていく

安物のセータのように

やぶれたフィルムのつぎはぎのように

シーンやカットの裂け目に

なにもないぼんやりした光だけが

一瞬過ぎる

 

折り目はスケールを無視して展開される

聴者が抹消されると音楽だけが残るので

錯視なんかではない

聴者が聞くときはじめてフォーカスやピントの

惑乱が生じているだけのこと

音楽はただそこにある

反復の中にも反復があって

それぞれ瓦解と構築が瞬時に入れ替わるし

土台そのものもなくていなくなって

そっぽを向かれている間欠もある

 

 

 

図書館の新着コーナーで

コルビエールの「アムール・ジョーヌ」があった。

借りると返したら縁が切れそうで

ときどき立ち読みする程度。

予約していた

「告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル」

「短編ミステリの二百年1」

「中国古典文学大系53戯曲集」

を借りて電車で読んでいる。